パッちゃんと稲垣夫婦のホームステイ日記

                                              愛子 記

     2005年 11月
11月5/6日(土・日曜日)女学院高校文化祭
天高く馬肥ゆる秋!芸術の秋である。
今日と明日女学院中学・高校の文化祭である。
パッチャンは留学生という事もあって、母国紹介の為大判サイズにタイのお国料理、民族舞踊、
国王や王妃の写真など沢山貼り付けてアピールしていた。
またパッチャンの属している茶道部では、お手前のお茶の”お運び”をしたり、
午前と午後で2回、タイダンスを披露したりするらしい。
片付けのまったく苦手なパッチャンは、せっかく持ってきた民族衣装はくしゃくしゃ!なので、
きれいにアイロンがけをして用意しておいてやった。
民族衣装というものは、本当によく作られているものだなぁ〜と関心するのだが、パッチャンが着て踊っているのを見ると
足さばき、手さばきはやはり小さい頃から身についているのだろう、とても可愛く素敵である。
文化祭としてのクラスの出し物であったので、午前の部では、沢山の観客があって、盛況だったらしい。
ぱっちゃんの日本での思い出の為にと思い、ビデオカメラを携えて私も文化祭に出向いた。
茶道部でぱっちゃん当番の時間に合わせて行ってみた。先生のお許しを得てビデオ撮影をさせてもらった。
「今からお茶を運ばせますから・・・」との先生の言葉だったので、早速お部屋に入り正座して待っていると、緊張した
面持ちのパッチャンが、しずしずとお茶碗を両手に持ち入ってきた。いつものパッチャンとえらい違いである。
私に気づくと、ニコッとした。
そして、お客様の前に正座すると、「どうぞお召し上がりください」と一礼する。そして再びしずしずと戻って行った。
茶道部の当番が終わると、今度は2時からのタイダンスが控えている。
後5分しかない。いままでのおしとやかさはどこへやら、韋駄天のごとく自分の教室へと走って行った。


 「これからタイダンスをお見せします」 学生服のパッチャンとまた違った雰囲気で・・・・」

 「おかあさん、一緒に撮ろう!!ハイ!!」 「どこでも子供大−好きのパッチャン」

 「私の国、タイ紹介写真も作りましたぁ〜!!」 先生バンドです!!

私もパッチャンのタイダンスを見るため、いそぎ1年A組みへと急ぐ。
1年生は一番上の階の一番奥の教室だった。教室に入ると、ワイワイガヤガヤと準備が進められていた。
パッチャンもタイの衣装に着替えて前に立った。ところがカセットの調子が悪いのかなかなか始まらない。
気を利かせた司会者が上手く時間稼ぎをして、ぱっちゃんにいろいろ質問したりしている。
そのうち、ようやくカセットも動き出し、タイダンスの始まりだ。
パッチャンは日本に来る前に、ほんの少しだけダンスを習いに学校に行ったと言っていた。
でも小さい時から身体で覚えているのでもあろう、上手に手さばき足さばきをしながら、踊っている。
1年A組みはこれが出し物のメインなので、皆さんパッチャンに掛ける期待は大きかったようだ。
午前の部でやった時には、男性の観客が一杯だったそうで、ぱっちゃんも大満足だったようだ。
ダンスを終えて、ようやく自分の時間が出来たパッチャンと、他の教室の文化祭を見て廻ったり、ぱっちゃんにせがまれて
沢山の写真をデジカメに納めた。
こうして秋のぱっちゃんの一大行事は無事終了した。

11月13日(日曜日)平和スピーチコンテスト
今日は毎年行われている広島工業大学付属高校主催の広島県在住留学生対象としたスピーチコンテストの日である。
パッチャンも原稿を作成し、出ることが決まった一ヶ月前から、空で言えるよう、すこしづつ練習を重ねてきた。
このコンテストでは、須藤先生指導の女学院高校が毎年のように一位をさらってきた。
今年も女学院からパッチャンとキャロラインちゃんがこのコンテストに出場する。よってみなさんのおおかたの予想は
今年もぱっちゃんかキャロラインのどちらかが一位であろうとの思惑であったようだ。
もちろん私達はぱっちゃんの練習を毎日聞いて、日本語のおかしなところはチェックし、一緒になって稽古を重ねてきた。
パッチャンはタイの彼女の住んでいるところでのスピーチコンテストで優勝した経験もあるという事を聞いて、なるほど
言葉もはっきりしているし、日本語を理解してしゃべっているので、聞いていても説得力があるし、声もよく通るし
一位狙えるのではないか・・・とささやかな期待をしていた。
4年前のホアンのスピーチでは、主人が、文頭に「身体髪膚これを父母に受く、敢えてきしょうせざるは孝の始め也」という
日本の諺を付け足した。これが功を奏してか、ホアンは見事に一位を獲得した。
ぱっちゃんのスピーチの題は「世界からのお手伝い」で、去年12月26大勢の犠牲をだしたインドネシア沖の津波に
ついて、タイの南で起こったこの津波の余波、親戚たちが受けたショック、お友達の学校も流されてしまった事、そして
自分と同じ様な子供達や、もっと小さな子供達を亡くした親、また親を失った子供達の事をスピーチに託した。
私はパッチャンのスピーチを聞くたびに胸がしめつけられる思いがしていた。
パッチャンのしゃべり方も、須藤先生の指導により、日に日に上くなってくるのがわかり、ほんとに上手だと感心していた。

さて当日は、同じクラスのお友達をはじめ、レイナも応援に駆けつけてくれた。また山口のAFSのお友達のテレサも夕べから
我が家に泊まり、朝一緒に会場に出かける。
会場は平和公園のすぐ近くの工業付属高校の別館である。続々とコンテストの出場者やその関係者が集まってきた。
時間は9時半から始まった。キャロラインもホストと一緒にやってきた。
きょうの出場者は、中国、オーストラリア、韓国、ウズベキスタン、メキシコ、フィンランド、アメリカ、フランスと国際色豊か。
パッチャンは8番目である。


 こんなに沢山のお友達が応援に来てくれました。 山口にホームステイしているテレサも応援に駆けつけた。 

 パッチャンは内容を覚えてしまっているので、原稿は持たず登場。
「みなさんこんにちわ、私はタイから来ましたパッシャラポーン、レクノイです。よろしくお願いします」でスピーチがはじまった。
少し緊張気味に見えた。声もほんの少し小さい・・・。でもゆっくりと会場の聴取者を見回しながらゆっくりとしゃべっている。
スピーチの最後あたり、「タイで有名な歌手のカラバオは皆さんに感謝の思いを込めて歌を作りました・・・
私も、無くなった人々が天国で幸せになりますよう、歌を歌います・・・・」の言葉の後短い歌を入れていた。
歌い始めたパッチャンは次第次第に感極まりまた、会場の聴取者の中にも、ハンカチで涙を拭く人がいて、そんな人の姿が目に入り、
パッチャンも悲しみが込み上げてきたのだろう、声が消え入りそうになってしまった。
ほんの短い歌であったので歌い終えると「ありがとうございました」と壇上を降りて行った。
会場の人の涙を誘ったパッチャンのスピーチは「絶対上位に入れる!」事を本人も私たちも確信していた。

 コンテスト参加者と一緒に。 無事終わりました!ご指導下さった須藤先生と。

 「みなさん!12月26日の出来事を覚えていますかー?」津波のスピーチをするぱっちゃん。 成績は4位でした。

11人全ての人のスピーチが終わり、いよいよ結果発表。
3位「韓国・・・・・さん」  2位「カザフスタン・・・・・さん」 ああ、いよいよだ!! 「一位 中国・・・・さん!」
「ええっ〜!!!うっそー!!」何かの聞き間違いか・・・・。
でも壇上では2位のカザフスタンの赤い民族衣装を着た女性がにこやかに立ち、その前で、
スラリと背の高い中国人女性が一位の賞状と賞品を笑顔で受け取っている。
上位3名の他は皆さん4位として賞状が授与された。

結果は結果だから、しっかり受け止めないと・・・。
「一生懸命がんばったんだから、だいじょうぶ!!」とパッチャンを慰めてやろう。
スピーチコンテストの後は、別室にドリンクや、お寿司、サンドウイッチ、など用意され、立食パーティが予定されており、
皆さんはそちらに移動してくださいとのアナウンス。
ぱっちゃんのお友達もみんな一緒にそちらに行く。
パッチャンが私のところに来て、落胆の表情が隠しきれず。
須藤先生も「続けて女学院というのは無理でしたね・・・」と言われていた。
パーティの席でも、何人かの聴取者の方がパッチャンのスピーチが素晴らしかった事をわざわざ言いに来られていた。
きっと審査員側にも、いろいろ難しい審査基準があったのであろうと、ぱっちゃんを慰める。
ぱっちゃんがこのスピーチコンテストに掛けていたのには理由が他にもあった。
それは一位賞品が何と五万円の図書券がもらえるからである。
だんだん手持ちお小遣いも少なくなったきたパッチャンは、一位をゲットしてタイへ帰る時のお土産代に
したかったようだ。・・・・でも現実は現実である。
ようやく諦めのついたパッチャンは、応援に来てくれたお友達と本通りの方に出かけて遊んで帰ったようだ。

    
11月27日(日曜日)