ホアンと稲垣夫婦のホームステイ日記

                                              愛子 記

     2003年 11月
11月5日(月曜日)
我が家にホームステイしていたホアンの国コロンビア。
いつの日にか彼の国を訪れてみたいという夢を持ち続けていたが、ついに実現しそうだ。
ホアンに電話する度に「おかさん、おとさんコロンビア来て!来て!みんな会いたがってる!!」
と泣く様な声で私達を招いてくれる。
彼のお母様スリマさんも、ホアンの帰った年の年末に、どう話が行き違ったか、
私達がクリスマスにコロンビアを訪れるという話になってしまった。
「すでに準備は出来ています。ナビダッド(クリスマス)一緒に過ごしましょう!という
メールを下さった事があり、どうしたものかと頭を抱えた事があった。
きっとホアンが早まって「日本のおとさん、おかさん来る!」と言ったに違いない。
でもその出来事は私達にとって、とても嬉しい事であった。
私は主人の許しがあればすぐにでも飛んで行きたい気分である。
ホアンが帰って以来折りに触れ主人に誘いを掛けて来たけれども、
当の主人はかたくなに”行かない”を通し続けていた。
それというもの、コロンビアが知っての通り政府と反政府ゲリラFARCが対立し、テロの絶えない
危険な国であり、政府の発表している危険度3《渡航見合わせ国》という事も理由の一つであるが、
主人の反対した理由はそ,れだけではなかった。
私達が行った為に、もしかの時に彼らが私達をかばうがゆえに危険な目にさらす様な事になったら、
きっと行かなければ良かったと後悔するだろう・・・・と考えたからだと言う。
なるほど、考えが深い!と関心する私。

という事なら、実際にコロンビアで生活をしたり、コロンビアを訪れ国の事情をよく知った人に
聞けばいいのだ!と私は次に手段を考えた。
コロンビアの国についてインターネットでいろいろ調べているうち、広島在住で、3年間首都ボゴタの
日本人学校の校長先生をしておられ、つい最近帰国された方がいらっしゃる事を知った。
その方は叶堂さんといわれる方で、安佐南区在住にお住まいの方である。
ご主人がボゴタで日本語学校の先生をしておられ、その間南米の楽器であるケーナの演奏を学ばれ、
こちらに帰ってこられても、南米のグループと共に演奏会を催したりされている。
また奥様は南米の各種楽器をネット販売もしておられる。
私達の突然のぶしつけな訪問にも快くいろいろ現地の事を教えて下さった。
先ず、現地コロンビアの人々は日本という国に大変友好的であるという事。
だから基本的には、とても好感が持てる雰囲気だと言う事。
それでも、貧富の差が激しいし、町中でも油断していればスリに付けねらわれる事になるのだ。
ただ、現在のウリベ大統領になってから、ホアンも言うようにだいぶ政情が良くなっては来たそうであるが
まだまだ、ゲリラと政府が対立している国である事には変わりはない。
実際にホテルとか、町中では銃を構えた警察官などがあちこちに立っている事、またご主人の教えておられた
日本人学校で、体育祭などが有る時は、運動場はぐるりと戦車に囲まれて競技が行われたそうである。
ただ、叶堂さん達が現地に居られる間に、危険な目に会ったという事は全然聞かなかったとも言われていた。
そんな事で少し気分が和らいだ主人、少しづつ行ってみようかな?という気分になり始めたようである。
後一押しだ!!
もっと深く知るために、インターネットで検索していた時『機械じかけのスペイン語』
http://members.jcom.home.ne.jp/colombia/というホームページを作っておられる加藤様という方に行き着いた。
コロンビアについても、詳しく記述されているし、中米初め、南米各地を旅行された旅行記を書いておられ
南米通といった感じである。
加藤様のホームページを主人共々楽しく拝見させて頂いている。
さっそくメールでいろいろ相談にのって頂いたりしているところである。

11月10日(月曜日)Planear del viaje a Colombia y Costa Rica』
あれから、じわじわと主人を多方面から説得して、遂に「じゃー行こうか!」と主人のOKがとれた!!。
主人は主人なりに考えたようであるが、多分、私の説得の中で、今をおいて行くチャンスが
だんだん無くなっていくという思いが、決心するきっかくだったように思う。
子供達も一応、今のところ落着いている。そのうち長男が結婚するとか、次男が日本に帰国して
新しい職に付くとか、状況も、ここに2、3年の内に変わってくるだろう。
また、私の母も痴呆はあるものの、一応今のところ身体は元気で、草取りや墓掃除にと動き廻っている。
母の場合は、毎日がはらはらどきどきものである。
歩いていて転んだにしても即入院という事になるだろうが・・・。
とにかく、あと一ヶ月の間、何事もない事を祈るのみである。
そんな訳で、ついに主人の決心を取り付けた私、思いはコロンビア、コスタリカと飛んでしまっている。

とは言え、旅行迄はまだ一ヶ月あるので、目の前に来ないとなかなか準備に取り掛かれない性格の私。
なにから始めていいやらわからない。
とりあえずはチケットの段取りだけは、しっかりしておかないと・・・・・とインターネットで東京の旅行会社と
連絡を取り合って、チケットの確保は出来た。

26日に成田発でヒューストン経由でまずエリックの居るコスタリカを訪問する予定だ。
コスタリカで3日間過ごした後、30日にホアンの居るボゴタへ向う。
年末のカウントダウンをホアンやホアンのご両親達を過ごしたい・・・という思いから、このような日程となった。
何せ、地球の裏側に向って飛んで行くのである。往復の空の旅で、4日は取られてしまう。
12日の休暇は賞味8日間しか残らないのである。いかに有効に休暇を彼らと過ごすか考えた。
そして行きは成田を発ってヒューストン経由してそのままコスタリカに向うチケットを取ってもらった。
しかし、帰りは飛行機時間の都合でどうしても、ヒューストンで一泊しなければならない様だ。
コスタリカに着いたら、時差ぼけもなんのその、精力的に時間を使わなければいけないハードな旅行に
なりそうだ。う〜ん、体力は大丈夫か〜!!!。

チケットの段取りが出来たところで、ようやくホアンやエリックに連絡を入れる事にした。
ホアンは常日頃から、「来て!来て!みんな会いたがってる!!」と泣くような声で誘ってくれる。
おとさん、反対だから行けないよ〜!!と言うと、「毎日、コロンビア行きましょう、
行きましょう!って言いなさい」と私を脅すのである。
そんな訳で、行くと決まった事を連絡した時は「本当?うっそ〜!!!僕ちょっと涙出そう・・・」と
喜びを表してくれていた。
すぐククタのお父さんとお母さんに電話する!」と弾んだ声で言っていた。

またコスタリカのエリックといえば、10月頃、メールでコロンビア行きたい!と書いたところ
ラテン音楽のカセットを送ってくれて、その中に、エリックのお母様がわざわざ
「コロンビアに行かれるなら、是非コスタリカも訪れて下さい!!」とお手紙を書いて下さった。
「コロンビアとコスタリカは近いです。この機を逃す手はありません!」とまで言って下さっている。
本当にありがたい事である。
そんな訳で、もう二度とあんな遠い処まで旅する事もなかろうと考えて、お正月の短い休暇だが
コスタリカも行ってみることにした。
そんな訳で、エリックに電話をすると、電話の前に喜んでいる顔が浮かぶ程、声がはずんで
「良かったね〜!!!うれしい!!」と言ってくれる。

これはエリックの手紙である。

   
11月17日(月曜日)
ククタのホアンのお母様に数日前にメールを書いておいた。
コロンビアは政情不安の国。どうやらこのメールもしばらくインターネットの故障で
見る事が出来なかった様子。
私の家の留守電にホアンのお母さんのスリマさんからの伝言メッセージが入っていた。
私達がコロンビアを訪れるというメールを見て、大変喜んでいます。
詳しく話しをしたいので、私の携帯電話にお電話下さいと言った内容であった。

早速にスリマさんに電話をいれる。
一年掛けて習ったスペイン語だが、やはり聞き取れるのは3割程度。
それでも、私達の訪問をとても喜んで下さっている様子はわかって嬉しかった。
私達の日程が分からないこの時点で、いろいろと、もてなしの計画をして下さっているようす。
私達を北のカリブ海にあるリゾート地、カルタヘナに案内したいと言われていた。
あと、沢山沢山言って下さっていたのだが、結局ほとんど理解不可能であった。
結局、それではボゴタにいるホアンに電話しましょう、と言う事で電話を切る。